ウラジオストク旅行 自動車編 2018年3月
中学の地理の授業の時、先生がプロジェクターで面白い画像を見せてくれた。ウラジオストク港に並ぶ真っ二つに切断された大量の車。「なんで切断されているでしょうか?」と言われ、ある子が「廃車をロシアで処理した方が安いんじゃないですか」と答えた。もっともらしそうな答えだが不正解。実は切断された車は、ロシア国内でまた溶接され、元の車の形に戻すそう。切断された車は、あくまでも「部品」であるため、自動車にかかる関税を回避できる。中学校の授業なんて大して集中して聞いてなかったと思うが、この話はなぜか頭に残っている。
実際、ウラジオストクを走る車の大半が日本の中古車だ。自家用車の日本車率は極めて高い。またトラックも比較的日本車が多いと感じた。日本と違って右側通行だが、右ハンドルのまま走行している。一方バスはドアが逆だと乗降出来ないので、同じ右側通行を採用している韓国の中古車が多く導入されている。
しかし郵便車、パトカー、救急車などの事業用車では、まだソ連時代の車が使用されている。この独特の表情の愛好家が日本にもいるらしく、スバルのワゴン軽を改造し、ソ連車風にして販売しているショップがある。(https://www.modest.jp/lineup/paz/)
海外の中古が多い、車とは対照的に、鉄道車両は自国製(もしくはソ連製)で占められている。というのもロシアの鉄道は線路の幅も、車体の規格も世界標準よりも一回り大きいため、海外の中古をそのまま導入できないからである。(サハリンは例外で、日本統治時代に鉄道が建設されたため、日本の中古車両が輸出された。)
次回はウラジオストクの鉄道について書こうかなと思います。
ウラジオストク旅行 食堂編 2018年3月
ロシア料理というと、どんな料理を思い浮かべるだろうか。おそらく日本で一番良く知られているロシア料理は、ボルシチやピロシキあたりじゃないかと思う。
東京にもロシア料理屋は何軒かある。こういった店に行くとランチでも前菜→スープ→メイン→デザートといったコースで料理が提供される。イワシのマリネ→ボルシチ→ビーフストロガノフ→チーズケーキなどが定番のコースだ。こういったコース料理というとフランス料理を思い浮かべる人が多いが、実はフランス料理がコースで提供されるようになった歴史は浅い。元々コース料理はロシアで発達し、19世紀にフランスにもたらされたとされる。寒いロシアでは一気に料理を出すと冷めてしまうために、どの料理も暖かいうちに食べられるように、コース料理が発展したと言われている。
しかし今ロシアの食堂で、コース料理が提供されている訳では無い。少なくともウラジオストクでは日本ではあまり見られない独特の形態の食堂が一般的だ。
ロシア語で食堂はスタローバヤと言う。ウラジオストクでは空港や駅前、目抜き通りだけでなく、郊外の住宅街でも見かける。家族連れや大人数というより、一人から二人で食べに来ている人が多い。スタローバヤではガラスケースの中に、サラダからメインまで並んでいて、店員に言うと適量を盛ってくれる。そして自分オリジナルのセットを作る。見た限りだとメインだけという客は少なく、「スープ、サラダ、メイン、主食」や「サラダ、スープ、ご飯にスープをかけたもの(ハヤシライスのようなイメージ)」を構成している人が多い。(場合によってはサラダを抜いたり、デザートを足したりしている)。このあたりはコース料理の伝統が残っているように感じた。というわけで自分もマイセットを作ってみた。
ものにもよるが、デザート無しで大体500円前後になる。またお得なセットを提供している店もある。
またウォッカのセルフサービスを提供している食堂もあった。
ロシア旅行の際は値段も手ごろで味も美味しいスタローバヤを是非ご利用ください。次回は中央アジア料理について書こうと思います。
銭湯訪問記 豊島区【千代田湯】(2019/6/4)
この10年で銭湯の数は激減した。東京都も例に漏れず、銭湯は減少し続けている。東京くらしWEBによると、2007年に923件あった銭湯は、562件に減っている。しかし「スーパー銭湯」と呼ばれるようなレジャー施設なども含めた「公衆浴場数」自体は1985年からあまり変化していない。入浴文化が廃れた訳ではなく、公衆浴場の在り方が、日常利用からレジャー利用にシフトしたと考えられる。最近では銭湯も、露天風呂を設置したり、飲食施設を併設するなどレジャー化が進んでいる。スーパー銭湯と違って値段が抑えられ、手軽に利用できるのが魅力だ。
しかし日常利用としての銭湯が完全に廃れた訳ではない。平日の午後、開店直後に銭湯を訪れると、洗い場が混雑しているのをよく目にする。そのほとんどがお年寄りだ。銭湯は付近のお年寄りが日常的に集まるコミュニティーとしての役割を担っている。
私は廃業が決まった豊島区の千代田湯に向かった。「今度からどこに行くかねぇ」。お年寄りは湯に浸かりながらそんな話をしていた。
千代田湯を営む女性店主は富山県出身、亡くなったご主人も富山県出身だったという。そんなこともあって、銭湯の絵は富士山ではなく、立山連峰だ。北陸新幹線の絵は富山県のテレビの企画で、後に上から描かれたものだそうだ。
脱衣所にも「富山で休もう。」と書かれたポスターが貼ってある。都内の銭湯の経営者は、新潟、富山、石川など北陸出身者が多い。このように北陸をPRするポスター地図が貼られている銭湯は時々目にする。
湯音は体感で40~42度くらい。営業終了時間が近づいても2,3人の客が湯に浸かっていた。
創業は不明だが、この建物は1950年に出来たという。23時を回り営業が終了した後、写真を撮らせてもらった。しかし銭湯の仕事は終わらない。ここから大事な掃除が始まる。こじんまりとした銭湯といえども、床や壁を丁寧にたわしで洗うのは大変な作業だ。創業以来欠かさず続けてきたと思うと、頭が上がらない。
長い間本当にお疲れ様でした。
水辺の美しさに誘われて
はてなブログを始めるきっかけになったお友達がいます。ミズベログさん。水辺の記録を中心に、旅やグルメについて書かれています。私も忘れられない水辺の思い出をあげることにしました。
一部の人には有名な富山県の鐘釣温泉。写真には写らないが、まさに写真を撮っている河原から、温泉が湧きだしている。誰もいない峡谷で、素晴らしい紅葉を見ながら湯に浸かった忘れられない思い出。
新宿からバスで高山に行った日。高山は流石観光地、あふれんばかりの観光客が団子やら五平餅やらを手に持ち、せわしない。しかし列車で3駅行ったここ古川は、対照的にのんびりとした時間が流れていた。この先の公園で地元の子供達が水遊びしていたのも覚えている。
この年の秋に中国と北朝鮮の国境を流れる図満江が氾濫し両国に大きな被害が出た。特に北朝鮮側は建物が流されたため、多くの人が建物の復興工事に駆り出されていた。人民を駆り立てる、勇ましい音楽が、被災地に鳴り響いていたのも記憶に残っている。
一切の生命の活動が止まったようなモノクロームの世界に圧倒された。
うっすらと見える凍った波。水辺の痕跡。春になってようやく止まった時間が動き出す。ただただ圧倒。凍った日本海。すごい。
ウラジオストク旅行 出国編 2018年3月
今の若者にとって海外旅行は国内旅行並みに手ごろだ。特にLCCの発達でアジアへの旅行のが本当に気軽に行けるようになった。交通費や宿泊費が格段に高くなる国内旅行は学生にとっては「贅沢」な時代だ。
昔はお隣の韓国や台湾に旅行する時でさえ、ビザが必要だった。私はその時代を知らない。今では中国もベトナムもタイも短期間の滞在ではビザが要らない。ついついパスポートを忘れそうにさえなる。
ノービザで行ける国が当たり前だと、ビザが必要な国へ旅行するのに足が重くなる。
ロシア。興味はあった。大学に入学した時は、ロシア語の授業にもぐったりもした。ハルピン、大連のロシアの香りを嗅いできたこともあった。
2017年8月にロシア極東の一部の地域で、電子ビザが導入された。自宅でパソコンから顔写真を登録し、必要事項を入力するだけで、無料で気軽にビザが発給されるようになった。それに伴ってか、ウラジオストク行の航空券が3万円代にまで下がった。ロシア入国へのハードルがいよいよ下がった。そして2018年3月(正確には2月28日に出国)についに私はウラジオストクに旅立った。
航空券を予約した時、まさかウラジオストクまでの便がプロペラ機だなんて思ってもいなかった。実は初めてのプロペラ機。窓から見える地面がジェット機の乗ったと比べて明らかに近い。まもなくドアが閉まり、巨体に負けず滑走路へ。そしてハエの大群かのような轟音を上げ、鈍い速度で離陸した。