銭湯訪問記 豊島区【千代田湯】(2019/6/4)
この10年で銭湯の数は激減した。東京都も例に漏れず、銭湯は減少し続けている。東京くらしWEBによると、2007年に923件あった銭湯は、562件に減っている。しかし「スーパー銭湯」と呼ばれるようなレジャー施設なども含めた「公衆浴場数」自体は1985年からあまり変化していない。入浴文化が廃れた訳ではなく、公衆浴場の在り方が、日常利用からレジャー利用にシフトしたと考えられる。最近では銭湯も、露天風呂を設置したり、飲食施設を併設するなどレジャー化が進んでいる。スーパー銭湯と違って値段が抑えられ、手軽に利用できるのが魅力だ。
しかし日常利用としての銭湯が完全に廃れた訳ではない。平日の午後、開店直後に銭湯を訪れると、洗い場が混雑しているのをよく目にする。そのほとんどがお年寄りだ。銭湯は付近のお年寄りが日常的に集まるコミュニティーとしての役割を担っている。
私は廃業が決まった豊島区の千代田湯に向かった。「今度からどこに行くかねぇ」。お年寄りは湯に浸かりながらそんな話をしていた。
千代田湯を営む女性店主は富山県出身、亡くなったご主人も富山県出身だったという。そんなこともあって、銭湯の絵は富士山ではなく、立山連峰だ。北陸新幹線の絵は富山県のテレビの企画で、後に上から描かれたものだそうだ。
脱衣所にも「富山で休もう。」と書かれたポスターが貼ってある。都内の銭湯の経営者は、新潟、富山、石川など北陸出身者が多い。このように北陸をPRするポスター地図が貼られている銭湯は時々目にする。
湯音は体感で40~42度くらい。営業終了時間が近づいても2,3人の客が湯に浸かっていた。
創業は不明だが、この建物は1950年に出来たという。23時を回り営業が終了した後、写真を撮らせてもらった。しかし銭湯の仕事は終わらない。ここから大事な掃除が始まる。こじんまりとした銭湯といえども、床や壁を丁寧にたわしで洗うのは大変な作業だ。創業以来欠かさず続けてきたと思うと、頭が上がらない。
長い間本当にお疲れ様でした。